現役を退いて   2016.7.10現在

目次をクリックしていただくと、該当記事に飛びます。

東京から大阪へ引っ越し.. 2

ハローワークへ.. 2

パソコンの勉強と資格取得.. 2

再就職のお誘い.. 2

ボランティアサークルのパソコンサポートクラブ「わ」に加入.. 3

家内と旅行.. 3

仏壇を大阪市から河内長野市へ.. 3

年金の手続き.. 3

自分史の執筆.. 4

気象予報士講座に取り組み.. 4

ボランティアサークル 字幕サークルに加入.. 4

弟の死.. 6

社会福祉協議会の福祉センターで、パソコンクラブのサポート.. 7

ホームページ、twitter、ブログ、facebookに投稿.. 7

娘が専門学校へ.. 7

NPO法人のパソコンサロンのサポート.. 8

孫の誕生.. 9

映画やドラマの視聴.. 10

市民交流センターのホームページ作成のお手伝い.. 10

メールサークル(shinmai-club)に参加.. 10

日経通信員として、河内長野を紹介.. 10

パソコン XPVistaWindows8Windows10. 11

SkypeTeam Viewerの活用.. 11

ネットワーク環境(NTT/BiglobeからJ:COMへ).. 12

ベランダ菜園.. 12

熱帯魚、めだか、金魚.. 12

自動車事故を経験、その後、自動車を譲渡.. 12

YouTube動画アップ.. 13

自宅の設備の老朽化(換気扇、給湯器、トイレ、クーラー、テレビ、襖).. 13

インターネット大学.. 13

タブレット、スマートホン.. 13

手術を経験.. 14

本籍を大阪市から河内長野市へ.. 14


 

 

東京から大阪へ引っ越し

60歳の定年を迎え、祝日の関係で誕生日より、1日早く退職した。

退職前に、上司より、別の会社の仕事の紹介をして頂いたが、私の専門は、ソフトウェアであり、ご紹介頂いたのは、ハードウェアの会社であった。技術部門への転職のご紹介だったことや、15年間の単身赴任生活及び健康上の問題(喘息と鼻炎アレルギー)もあって、やむを得ず、お断りさせて頂いた。

 

さて、職場の仲間に送り出されて、タクシーに乗せていただき、東京の宿舎(アパート)に到着して、ホッとする間もなく、翌日の引っ越しのための荷造りをした。翌日、大家さんにご挨拶し、引っ越し業者に荷物を託し、大阪へ移動すべく、東京駅に向かった。

 

東京駅から、予定通り、新幹線に乗り、大阪、難波、千代田へと移動し、家族の待つ自宅へ無事にたどり着き、15年間の単身赴任生活(広島→神戸→東京)を終えた。

 

ハローワークへ

先ずは、ハローワークへ求職届を提出し、失業給付を受給できるように手続きを行った。

ハローワークへは、求職説明会や認定をしていただくために、求職のために、認定日と次の認定日の間に通って、パソコンで検索をしたが、思うような企業は見つからなかった。

失業給付は、150日分の支給で、退職後、2週間と少し経ってから支給されるようになった。

再就職先については、健康上の問題もあり、結果的に見送ることになった。

 

パソコンの勉強と資格取得

さて、再就職をしないと決めたが、何かをしないといけない。自分に出来るのは、コンピュータの知識だけであったこともあり、ネットで検索してたどり着いた、シニアにやさしいパソコン教育というキーワードに惹かれて、JPITAのパソコン検定を受けることを決め、テキストを購入して勉強を始めた。コンピュータのことは知っていたが、パソコンのWindowsについては、殆ど知識がなかったので、テキストを元に、自学自習となった。

 

テキストを購入してから、約1ケ月後に、資格認定試験(ネット経由)があり、初めてのネット経由の試験でもあり、ちょっとしたトラブルもあったが、何とか、ギリギリで合格することができた。

 

結局、後に、この資格を活かして、ボランティアで、シニアの方たちのパソコン相談に応ずることになった。

 

再就職のお誘い

現役時代の終盤、ISO9000シリーズ取得のための業務を担当していたことがあって、退職後、ソフトウェアエンジニアリングやソフトウェア能力成熟度モデル(CMM)などのコンサルタントを一緒にやらないかとのお誘いがあり、しばらく、検討していたが、健康面の問題と、コンサルタントを希望する企業や部門に関する人脈不足の問題があり、結果的には、お断りせざるを得なかった。

 

ただ、この時、先ずは、2000日という目標を立てて、日々の出来事をExcelで整理しておくと、いざという時に役に立つことを教わり、それ以来、12年間を過ぎて継続している。あの時、何が有ったのかということを振り返ることができて、大変、いいことだと思っている。

 

ボランティアサークルの
パソコンサポートクラブ「わ」に加入

パソコンの勉強を始めて、何とか、パソコン検定にも合格し、何か、お役に立てることがないかと探していたが、ある月の市の広報に、パソコンサポートクラブ「わ」の紹介記事が掲載されていた。健常者と障がい者が共に助けあって、パソコンを楽しんでもらおうというサークルであつた。

参加させて頂いた当初は、NPO法人の事務所のパソコンを借りて、月に一度の定例会に参加し、色んな相談に対して、皆で議論したり、依頼があれば、訪問したり、メール交換したりなど、相互の知識を高めるということから始まった。

 

メンバは、代表のTUさんは、難病のため、歩行が困難で、ヘルパーさんの介添え付きで参加されていました。最年長のDさんは、大変元気な方で、何処へ行くのも徒歩が中心の方でしたが、歳を重ねると共に、昨日まで出来たことが、今日、やろうとすると出来ない。これは、パソコンがおかしいのではないかと言うのが口癖の方です。また、TAさんは、放送関連で仕事されていて、プログラマーとしても、まだまだ、大活躍されていて、後に、字幕サークルを立ち上げられることになりました。NPO法人の代表のNさんは、少し話すことに障がいのある方ですが、パソコンも車の運転も問題なくこなされ、日々の事業活動もされていました。

 

パソコンの相談に訪れたKさんは、足でパソコンを操作され、音楽やビデオを楽しまれていました。サポートさせて頂く私達より、パソコンに詳しい方でしたが、トラブルに出会って、問い合わせなどをしないと解決しない場合に、お手伝いさせて頂いていました。

 

他にも、メンバはおられましたが、訪問サポートを必ずしも、望まれない方も多く、要望がないこともあって、自然消滅的に、会合に来られなくなりました。それと、もうひとり、Iさんという方が新しく参加され、「わ」のHPを作成してくださったのですが、その後、ご病気で亡くなられました。パソコンに強い方だったので、大変、残念なことでした。

 

パソコンサポートクラブ「わ」は、市のボランティア団体としての登録をすると共に、ボランティア推進委員会にも参加して、各種行事のお手伝いなどをさせて頂いた。

 

家内と旅行

リタイアしてから、家内と、年に2.3回は、色んな所へ旅行しようと話していたので、まず、手始めに、天橋立にカニを食べに行った。その後、伊勢の浜島へ伊勢海老を食べに行き、志摩スペイン村へも立ち寄った。ただ、その後は、年金生活で余裕がなく、残念ながら、旅行というものには、縁がなくなってしまった。

 

仏壇を大阪市から河内長野市へ

実家に住んでいた育ての母親が亡くなったことにより、予てからの約束通り、長男である私が、仏壇をお守りすることになり、大阪市から、河内長野市へ移送してもらった。

私の実母が、早く亡くなったこともあって、小さい頃から、仏壇があったので、購入以後、50年以上経過しており、金メッキも剥がれていたので、洗いなおしをしてもらった。費用的には、50万円程度かかったが、元々、大変高価な仏壇であり、今、買い換えれば、相当高価になるので、洗いなおしの方がいいとの勧めもあって、洗いなおしすることにした。

 

年金の手続き

 退職してすぐにやるべきことは、年金の手続きであったが、企業年金は、退職後直ぐに支給されたが、国民年金の方は、一般的には、65歳からであったが、経過措置で、62歳から支給された。ただ、月収そのものは、現役の時に比べると数分の1に激減したにもかかわらず、生活費の方は、すぐには、減らなかったため、毎月20万円程度マイナスとなり、あっという間に預貯金が無くなった。また、娘がまだ学校に通う年頃であったため、入学金や月謝などで支出が数百万円必要であったことも大きかった。また、住宅ローンも退職時点で、毎月、7万円程度で、72歳まで払い込む必要があったことも大きかった。結局、72歳で、住宅ローンが終わり、車を手放したことで、負担が大きく軽減され、やっと、何とか、年金だけで生活出来る環境になった。今後は、20年を経過した住宅のリフォームも必須となりそうなので、どれだけ、貯金しておけるかが、キーになると思う。

 

自分史の執筆

 パソコンを始めて、先ずは、ワードに慣れようと、自分史に取り組むことにした。

 大学を卒業してから、リタイアするまでの、約40年間の出来事を思い出したり、メモをとっていたノートを見たりと、何とか、半年をかけて執筆することが出来た。自分史の内容は、1部印刷しているが、その後、挑戦したホームページにも掲載するようにした。

 ホームページは、「http://www7b.biglobe.ne.jp/~kitasun/jibunsi/jibunsi_top.html

 

気象予報士講座に取り組み

 日々、時間だけがたっぷりあったので、リタイアする少し前から、取り組み始めた気象予報士講座を継続して学習した。一通り、最後まで学習したが、気象予報士試験を受験するまでには至らなかった。試験日が冬の真っ只中であったことと、何と言っても、試験内容が難しく、とても合格圏内にまで到達できなかったからである。

 

ボランティアサークル 字幕サークルに加入

しばらくして、メンバの中に、放送関連の仕事をされていた方がおられ、仕事で、ビデオやテレビなどに字幕を付与するソフトを開発されていて、退職後、世の中に役に立つなら、そのソフトを使っていいとの許可があり、字幕サークルを新たに立ち上げられた。このとき、パソコンサポートクラブ「わ」のメンバの中で、有志が、字幕サークルにも参加し、市の図書館にあるビデオを手始めに、動画に字幕を付けるということを始めた。

映画などに字幕を付与する作業をしてきて、12年が経過しました。完成作品は、映画及び市の図書館のビデオなどです。   

一覧は、「https://kawatijimaku.web.fc2.com/sub04.htm」にあります。
 これらの字幕の作成を通して、色々と試行錯誤してきた経緯をまとめてみました。

 まず、プロの方が字幕を付ける場合

 

  基本的に、生来の失聴者が対象になっている。
  そのため、1行、17文字で、2行までというルールの中で、
  セリフを要約されて、文字として起こしされている。
  勿論、音声を聞いて、文字にするだけでなく、その映画のセリフなどの資料もある。


 私達のサークルが字幕を付ける場合


  基本的に、生来の失聴者だけでなく、中途失聴者、難聴の方たちも対象としている。
  そのため、セリフと字幕に違和感がないように気をつけている。
  長くて、早いセリフの場合は、どこで、次の場面に切り替えるかが、難しく、苦労する。
  基本は、自分たちが聞こえている音声を文字として、出来る得る限り伝えようと心がけている。

 

 

個別の項目について考えていることは、


  音楽は、「~」に統一するようにしている。

  最初は、暗い音楽とか、明るい音楽とか、祭り囃子とか・・・文字としていたが、
  生来の失聴者には、何も伝わらないことに気がついたからである。
  また、音楽とセリフとが重なる場面は、セリフを優先している。

  次に、文字の色は、「白」に統一するようにしている。
  最初は、カラー色も使用していたが、色盲、色弱や、映写する場所の関係で、
  判別できないというご意見があったからである。

  次に、擬音については、私達が聞こえる音に近い文字にするようにしている。
  例えば、「ガラッ(戸の開く音)」、「バタン(扉を閉める音)」、「トゥルルー(電話の音)」のように。

  次に、キャストについては、その場面で、話している場合は、
  口の動きで判別できるので、セリフのみにしている。

  本当は、セリフの前に、全て、キャストが分かる名前を付加するのがいいのですが、
  要約ではなく、聞こえる音を再現するようにしているため、文字数が多くなるのを避けたいため。
  ただ、場面に登場している人物以外が、話しているセリフは、前に、その名前を付加するようにしている。

  次に、平仮名が続く場合は、間に空白を入れて、単語として認識してもらえるようにしている。

  次に、できるだけ、平仮名の羅列ではなく、漢字を使うようにしているが、
  難しいと思われる漢字には、漢字の後ろに()付きで、読みかなを入れている。
  最初の頃は、ルビを採用していたが、小さくて判らないというご意見があったからである。

  最後に、セリフを文字にするときの苦労は、
  時代劇のセリフや方言のでてくる映画については、
  私達自身、聞き取れないとか、意味が判らないということがあり、それを文字にするために、 
  ネットで検索したり、何度も聞き取り直して、でき得る限り文字にするよにしているが、
  どうしても不明な場合は、カタカナ表現にさせて頂いたり、
  短いセリフであれば、カットさせて頂いている。
  また、細切れのセリフや擬音が続く場合は、
  その場面の様子を、「(皆で騒いでいる)」というような文字に置き換えさせて頂いている。
  
洋画については、基本的に日本語の音声と字幕が付いているが、
 どうも、音声への翻訳と、字幕への翻訳が、一致していないのが殆どである。
 このため、難聴の方では、音声と字幕に差異があり、違和感があるというご意見から、
 洋画についても、いくつか、字幕を付与したことがある。

何も資料がなく、音声を聞いて文字にしているので、2時間程度の映画であれば、
 4人から5人で分担して、トータル、30時間から50時間かけて、字幕を完成させている。

膨大な量の字幕データになるので、何度も見直しはしていますが、各作品、数カ所の誤字や誤りは、ご容赦願いたいと思っています。

なお、上記の一覧表で掲載している作品は、全て、無償ボランティアで作成していますが、その他に、ご依頼があって、有償ボランティアで、お引き受けしたものもあります。
  

 字幕付与に関連する作業は、以下の通りである。

DVD字幕の合成方法は、「http://aozora60.at.webry.info/201305/article_14.html

 

mpeg1動画については、「http://aozora60.at.webry.info/201602/article_24.html

 

DVD合成フレーム数限界については、

http://aozora60.at.webry.info/201602/article_23.html

 

     

 

弟の死

 6歳下の弟は、若い頃に胃の手術をしたため、食事については、随分と辛い生活を送っていた。また、知人と始めた会社が倒産し、トップが行方不明になったため、弟が負債を負ってしまった。また、悪いことに、弟との共有名義の土地があったため、弟が自己破産することも出来ず、少しずつ返却していた。その後、母親が亡くなってから、とうとう、土地が競売にかけられることになり、やむを得ず、母親が住んでいた自宅及び土地を含めて売ることにして、何とか、負債を無くす事ができた。

 その後、弟が肝臓の病を発症し、入退院を繰り返していたが、56歳の若さで、旅立ってしまった。

 弟の肝炎も、今、考えると、若いころの手術で使用した血液による感染の可能性もあったようだが、当時は、そこまで、明らかになっていなかった。

 

社会福祉協議会の福祉センターで、
パソコンクラブのサポート

 地元の社会福祉協議会の福祉センターで、パソコンクラブを開催されていたが、職員だけでは、カバー仕切れないということと、希望者も増えてきているので、サポートして欲しいとの依頼が、所属していた、「パソコンサポートクラブ「わ」」に舞い込んだのを契機に、毎週、月曜日の午後、13001500の時間帯を引き受けることになった。

また、当日の午前、10001200は、サポートのための打ち合わせなどのために、利用させていただくことになった。午前については、その後、かわちながの字幕サークルの打ち合わせや体験見学プログラムの開催、サークルへの参加希望者などへの説明会としても利用させてもらっている。

パソコンクラブのサポートは、10年を経過し、現在も継続中です。この間、Windows Meに始まって、Windows XPWindows VistaWindows7Windows8/8.1Windows10へとめまぐるしく変わって来ていて、其のたびに、新鮮な気持で対応させて頂いています。

当初は、教室内のパソコンを使用して頂いていましたが、教室と受講者のご自宅でのパソコンが違っているため、理解が難しいということもあり、お手持ちのパソコンを持参して頂くように変わってきています。

受講者の方は、身体、視覚、聴覚に障がいのある方たちでした。身体に障がいの有る方は、私達と変わらず操作されますが、視覚に障がいの有る方は、拡大鏡マウスやPC-Talkerという読み上げソフトを活用されます。また、聴覚に障がいの有る方は、手話サークルの方に付き添って頂き、画面で示したり、紙に書いたりしてサポートさせて頂いています。

パソコンクラブのサポート状況は、途中から、ブログに掲載するようにしています。

→ 「http://tensinowa.at.webry.info/

 

 

ホームページ、twitter、ブログ、facebookに投稿

 200412月にホームページを開設し、ホームページ作成のノウハウを自習するようにしました。
 また、同じ時期に、プログを開設し、パソコン備忘録として活用している。記事掲載数は、5,000件を超え
記事単独のアクセス数が、60万件を達成しており、少しは、お役に立っているのかなと思っている。

また、20102月にtwitterに登録し、13,000ツイートを達成しているが、ブログからの自動投稿も含まれている。

更に、20125facebookに登録し、twitterと連携させ、現役時代の仲間とも交流を図っている。

 

 

娘が専門学校へ

 下の娘が、柔道整復師の学校へ通いだした。入学金200万でした。その後、鍼灸師の資格もとりたいというので、授業料をだすことにした。結局、色んな費用を含めて、800万円くらいかかった。資格は、両方共取得したが、開業できるお金がなく、現在に至っている。

 

NPO法人のパソコンサロンのサポート

NPO法人の代表の方から相談があり、以前、パソコン教室を開いていたが、先生自身のパソコン教室が忙しくなり、そのままになっている。パソコンは、数台あるので、先生として来てくれないかということだった。結局、個人的にサポートするということではなく、パソコンサポートクラブ「わ」としてサポートを引き受けることになった。

受講者は、シニア層が中心で、パソコン教室に通っても、すぐに忘れてしまうということと、自分のやりたいことだけを教えてくれるところがないということで、そのような方たちをサポートさせていただくことにした。

 10年を経過して、シニアの方が、パソコンを操作されていて良く聞く悩みのひとつに、記憶力が悪くなってしまったので、なかなか覚えられないということがある。物忘れに効果があると聞いて、備忘録を作っても、改めて、見直してみると、良く分からないことが多く、第一、どこに書いたかも忘れることがあるという悩みである。
 でも、よくよく聞いてみると、記憶力の所為ではなく、覚えるほど使っていないというのが、どうも原因のようである。慣れるまで、何度も繰り返して、使ってみて、覚えるようにしないと、シニアでなくても、忘れてしまうのは、当然のことである。
 毎日、少しでも分かる範囲のことを繰り返して操作することが、上達の秘訣である。
 もうひとつ、続けるということは、大切ではあるとわかっていても、集中力が続かず、分かるまで、色々と操作してみようという粘りがなくなってきていることも悩みであるとのこと。
 しかし、どうも、せっかちのような気もする。少し操作すれば、分かるようになると思ってはいないだろうか。そのため、操作して、ちょっと何か問題にぶつかると、パソコンは、難しいとか、このパソコンがおかしいとかといって、逃げ口を探してしまうのではないだろうか。
 パソコンという生き物は、ベテランの人でも使いこなせるように、最初から、膨大な機能が盛り込まれているため、シニアの初心者が操作すると、次々と難問にぶつかっても仕方が無いような代物なのである。
 逆を言えば、最初から、難しい機能は使わず、やさしいことから、少しずつ、自分のものにしていくという心がけが必要であるということである。
 例えば、年賀状を印刷しようとする場合、1年目は、市販のはがきに、宛名を書くことができれば、十分である。これを2年ほど続けると、干支を挿入したり、自前の写真を挿入したりというような変化を求めるようになるので、その時に、編集の仕方を覚えるようにする。そうすれば、2年間の操作実績があるので、基本的なことは理解できているので、市販のテキストや雑誌を読んでも、自分で操作することが可能となるはずである。
 それをいきなり、格好よく年賀状を作りたいと、色々な複雑な操作を教えてもらって、それを覚えようとするから、覚えられないのではないだろうか。
 また、パソコンは、簡単に壊れるものではないし、おかしくなるものでもない。自分が操作した通りに動いてくれる機械であるということを忘れないで欲しい。
 記憶力が悪いとか、集中力が続かないとかは、誰にでもあることである。上達する人は、粘り強く継続して使っている人である。どうしてもダメだと言う人は、パソコンというものに向いていないのかも知れないので、自問自答してみることも必要かも知れません。誰にでも、向き、不向きがありますよね。
 シニア、特に、リタイアされた方は、時間だけは、たっぷりあるはずなので、あせらず、少しずつ使えるようになりましょう。数年、続けていれば、格段に上達しますよと言ってあげるようにしている。

 

 シニア層のパソコンライフについて、サポート体験を元に、整理してみた。

 シニア層向けのパソコン教室が、にぎやかに、あちらこちらで開催されている。
 ひとつは、老化防止の役目も果たしているようだ。
 ただ、殆どの方から、ワードやエクセルなどの教室で、その時はサブの方などの補助でできたとしても、一歩、教室を出れば、忘れてしまうとのお話しを聞く。
 折角、テキストがあるのに、何故かなと聞いてみると、テキストはあるが、その通りに進行することは、まず、少ないためと、学習機能が邪魔をして、テキストどおりの画面にならないことが理由のようだ。
 一般的に、シニアの方のほとんどは、メールで友人とのやりとり、Skypeで遠くの人たち(孫など)とのやりとり、デジカメで撮影した写真の印刷、年賀 状の住所録や文面の作成、ワードによる案内状の作成、Excelによる小遣い帳の作成等が主な所であり、あまり細かいことを教えてもらっても使うことがな いということもあるようだ。
 そのためか、長くパソコンライフを継続して楽しまれる方は少ないようである。
 ごく一部の方は、ブログやホームページを続けられているが、長続きされている方の傾向を見ると、継続されている趣味(旅行、語学研修、切手収集など)を持たれている方が、題材もあって続くようである。
 なお、インターネット通販なども上手に利用すれば、楽しく買い物をしていただくこともできるようであるが、カードを登録するのが嫌だとか、あまりあちこち参照するとウイルスに罹るとかということを聞かれて、尻込みされているようにも見える。支払は、コンビニ後払いや代引きなどをお勧めすれば安心してもらえるようだ。
 シニアの方たちのパソコンは、通常は、持ち運びが楽なスレートPCのような、薄くて大画面のもので、メール、インターネット、画像の取り込み、動画・映画の閲覧、年賀状の作成等ができれば機能的に十分であると思う。
 パソコン教室では、ワードやExcelの講座が殆どであるが、それらは、色んなことができる代わりに、理解が困難だったり、身近で使う必要性があまりなかったりするので、やり始めたのはいいが、分からなくて中断してしまう人が多いのも実態のようだ。
 要は、シニア層ご自身の趣味とパソコンがうまく結び付けることができれば、楽しくパソコンライフを過ごすことができて、いつまでも好奇心にあふれた人生を送っていただけると思う。

 また、シニアの方たちの中には、マウスの右クリックやダブルクリックが苦手の人が多い。
 クリックするときに、意識してしまって、マウスが浮いてしまい、思うようにクリック出来ないようです。
 マウスの持ち方は、下記が参考になると思います。





 実際の場面で、うまくいかない時は、手首が机についていなくて、少し浮いて移動させてしまうようです。
 どうしても、うまくいかない時は、
 ダブルクリックについては、左クリックで、選択し、マウスは動かさず、Enterキーを押せばうまくいくと思います。
 右クリックについては、左クリックで選択し、マウスは動かさず、アプリケーションキーを押せばよいので、そのように指導させて頂いています。

 

孫の誕生

 2006年、待望の孫が誕生した。夜中の2時頃だったと記憶しています。家内が病院へ付き添って行ったので、自宅で眠らず待っていたのを思い出します。

 孫が幼稚園に通うようになった頃、事情があって、上の娘が離婚して戻ってきたので、それ以降、同居することになった。

 幼稚園の頃は、だんじりに夢中になり、ダンボールで作っただんじりを部屋の中で引き回して遊んでいた。そのため、ダンボールのだんじりを何台作成したか、数知れない。

 その次は、ペーパークラフトに夢中になり、色んな物を作っては壊しが、数知れない。

 TVは、アンパンマンに始まり、仮面ライダー、ドラえもん、ゲゲゲの鬼太郎など、DVDは、ファインディング ニモ、千と千尋の神隠し、となりのトトロなどに夢中だった。

 孫も小学3年生になると、タブレットで、マインクラフトというソフトを使うことに夢中になり、その後、PS Vitaやパソコンでも操作するようになった。マインクラフトについては、YouTubeを見ては、新しい操作を学び、1年の内に、ほとんど、自分で、どんどん操作するようになった。シニアの方たちとの違いは、怖いものなしに、いろいろと操作し、学習するということなのだろう。現在は、Windows10を使いこなしている。

 

映画やドラマの視聴

 リタイアしてから、時間がたっぷりあるので、映画やドラマを視聴している。

 当初は、DVDレンタルのお世話になっていたが、J:COMに加入してからは、録画をしておいて、空いた時間に見るようにしている。トータルの作品数は、500本に迫ろうとしている。

詳細は、トップページの「映画鑑賞」をクリックしてください。PDFファイルになっています。

 

市民交流センターのホームページ作成のお手伝い

 ホームページをアップするようになって、もう少し勉強したいと思って、市民交流センターのホームページ作成ボランティアに参加するようになった。ここで、先輩の方たちに色々と教わりながら、ホームページを作成していた。市民交流センターのホームページに欠けていたのは、バリアフリー(特に、聴覚障がい者に対して)になっていないということであった。すべてを見なおして、バリアフリーの解消に務めたが、私が抜けてからは、また、見栄えの方に偏っていっているようだ。一般に、公共のホームページは、かっこよさより、シンプルさが求められるのだが、現実には、ほぼ、すべての公共のホームページが、見栄えを優先するようになってしまっているのは、残念なことである。昨今、バリアフリーがこんなに叫ばれているのに、ホームページの担当者たちが何も勉強していないように見えるのは、嘆かわしいことである。

 

メールサークル(shinmai-club)に参加

 リタイアした直後、パソコンについては、ズブの素人であったため、其のような人達が集まって、お互いに助け合うという趣旨のメールサークルshinmai-clubに入会した。

 全国色んな人達や米国や東南アジア在住の方たちも参加されていて、一次は、100人を超える用になっていった。ただ、10年も経過すると、常時、何らかのメールを配信されている方は、10人程度になってしまっていることは、寂しい限りである。

 また、オフ会と言って、たまに、顔を合わせる機会があるのは、大変いいことであるが、私自身は、2,3回程度しか参加できていないので、申し訳ないと思っている。

 サークルリーダ在住の関西での温泉オフ会が多いが、白浜や北海道でのオフ会の実現やアメリカでのオフ会の計画もある。

日経通信員として、河内長野を紹介

 リタイア後は、生まれ故郷の大阪市ではなく、河内長野市に住むようになって、20年が経過している。たまたま、日経Mastersの通信員募集があり、河内長野を紹介する記事を書くようになった。日経Mastersは、その後、廃刊となったため、現在は、何もしていないが、今までに書いた記事は、30件ほどあって、そのうち、3件は、日経Masterに掲載された。

詳細は、「http://www7b.biglobe.ne.jp/~kitasun/nittukei/tourokukiji.html

 

パソコン XPVistaWindows8Windows10

 パソコンを始めたのは、WindowsXPだった。

 その後、Windows VistaWindows8windows10へと目まぐるしく変わって、其のたびに少しずつ操作のベースが変化していった。

 WindowsXPは、ディスクの容量が少なく(40GB)、メモリも512MBで、だんだん動作も遅くなって使い物にならなくなつていったので、思い切って、Windows Vistaのパソコンに買い換えた。ディスク容量は、200GBに増え、メモリも2GBに増えて、ストレス無く使えるようになって、現在でも、メインのパソコンとして利用している。ただ、2017年には、OSの更新がされなくなるので、その時点までかなと思っている。

 当初のWindopwsVistaは、メモリが1GBで発売され、動作が遅いことで不満が多く、その後、すぐにWindows7が発売されたが、其の時には、私のWindows Vista2GBだったので、Windows7に変える必要もなく、今に至って使用している。

 その後、今までとは基本の操作がガラッと変わったWindows8が発売された。

 パソコンの相談にお応えするために必要だったこともあり、思い切って、Amazonで、4万円のOffice無しパソコンを購入し、Windows7と同様に操作できるStart Menu8を導入して、サポートしてきていた。

 Windows8のあまりの不評に耐えかねたのか、Windows10が登場し、Windows7の操作をペースにしつつ、Windows8の操作も活かしたものになっていた。しかも、Windows7Windows8のユーザは、1年間の期限付きで、無償でアップグレードできるというおまけも付いていた。

 私も、Windows8のパソコンをWindows10にアップグレードし、相談者の対応に役立てている。

 Windows10へのアップグレードについては、マイクロソフトが無償で対応すると言いながら、パソコンのメーカーに聞くと、非対応機種が多く、メーカーのエゴ(Windows10パソコンを売りたいというのが見え見え)が感じられたのは、残念である。私自身のWindows8も非対応であったが、問題なく動作しているし、Windows7の方の非対応機種も問題なく動作しているというのが、現実である。一般のシニアユーザが使用されている範囲では、問題なくアップグレードできるようである。ただ、残念なことであるが、福祉センターのWindows7は、視覚障がい者のために、PC-Talker7という読み上げソフトを導入しているが、このPC-Talker7が動作せず、改めて、高価なバージョンアップ版のPC-Talker10を購入する必要があり、現在は、Windows7のままである。せめて、安価にしてくれてもいいのになあと思った。

 

SkypeTeam Viewerの活用

 遠方の方と長時間やりとりするとき、Skypeを活用すると、無料で利用できるので重宝している。外国の方とも、カメラがあれば、顔を見ながらお話しすることができる。

 Windows8のノートPCから、カメラとマイクが標準で付くようになったのもありがたい。また、Skype for Windows Desktopをインストールしておけば、片方向ではあるが、画面を共有することができるので、パソコンの操作の相談があったときなど、便利に利用している。相手の方の画面を見ながら操作を説明できるので、緊急時の対応としては、不可欠である。

 なお、Team Viewerというソフトを相互のPCにインストールしておくと、相手の方のPCをこちら側で操作できるというソフトもある。一般的には、外出先から、自宅のPCを操作するのに利用するソフトである。

 

ネットワーク環境(NTT/BiglobeからJ:COMへ)

 パソコンを始めたときのネットワークは、電話回線かつBiglobeであった。電話回線だと、通話料がどんどん増えるので、最低限の利用しかできなかった。

 その後、ADSL回線になって、通話時間を気にかける必要がなくなったのは大きかった。

 パソコンが2台になると、ルーターを導入して、家庭内LANを構築するようになった。

 その後、マンションとして、地デジ対応で、J:COMが導入されたのを機に、ケーブルテレビの回線を利用するようになって現在に至っている。ただし、メールのために、Biglobeの契約は継続している。

 また、LANも、有線LANから、無線LANへと変わっていって、現在は、無線LANで、パソコンを2台、タブレットを3台、常時、接続できるようになった。

 

ベランダ菜園

 リタイアした時、家庭菜園に興味があったが、近くに借用できる菜園がなかったため、あきらめていた。

 その後、ベランダでも、コンテナを利用すれば、少しではあるが、家庭菜園らしきことができるようになり、サニーレタス、ミニトマト、ネギ、ゴーヤ、ブロッコリー、ピーマン、大葉、三つ葉、パセリなどを育てている。ただ、太陽が半日しか当たらないので、成長度合いは、あまり良くないが、新鮮なものを戴けるのがありがたい。

 

熱帯魚、めだか、金魚

 2010年、知人から、熱帯魚の飼育セットとメダカの飼育セットを頂き、初めて飼うになった。

 熱帯魚の方は、しばらくして、寿命が尽きたが、その後、夜店の金魚を頂いた。

 メダカは、寿命が短く、しばらくすると全ていなくなったので、何度か20匹単位で購入し、現在に至っている。一方、金魚の方は、どんどん大きくなり、1cm程度だったのが、最近では、30cm近くまで大きくなり、元気に泳ぎまくっていた。ただ、残念なことに、6年を経過して、先日、寿命を迎えた。数年前までは、大きくなった金魚が3匹、元気に泳ぎ回ってくれていた。

 なお、金魚やメダカの水槽の清掃は、専ら、私の分担になっていたので、余計に寂しく感じている。

 

自動車事故を経験、その後、自動車を譲渡

 35歳で免許を取得し、つい最近まで、無事故、無違反であつたが、ある日の夕方、レンタル店に行くとき、信号が黄色の点滅になり、直進車も少し遠くにいたので、右折しようとしたところ、その直進車が、スピードを上げて通り抜けようとしたため、車の前面の角に接触して、バンパーが剥がれるという大事故になった。直進車は、街路樹にぶつかって大破するという事故であった。ただ、幸いなことに、私自身、後部座席の孫や娘は、無傷に近い軽傷で、相手の方も無傷だった。もちろん、すぐに、警察や損保会社、車のディーラーに連絡し、念のため、病院で検査してもらって、大丈夫であることを確認してもらった。

 その後、家内の方が、2度の自損事故と、信号待ちでの追突を経験してしまった。

 家内が70歳を迎えたのを契機に、車は、譲渡し、免許は、自主返納することにした。

 車がないとほんの少し不便であるが、幸い、自宅が大変便利な地域にあるため、車が無くても困ることはなく、自然と歩くことが多くなり、健康にもよいと思っている。

 自主返納すると、運転経歴証明書を発行してもらえる(証明代1000円必要)ことと、これが、身分証明書にもなるので、手続を済まして入手した。

 退職後、動くことが少なくなったことも影響して、なかなか、熟睡できず、日中は、あまりすっきりしない状態で、運転せざるを得ないこともあったが、車がないことで、そのストレスからも解放された。ただ、ひとつ、盆や暮れ、彼岸の墓参りに支障があるのが心残りだが、より近いところに住んでいる妹にお願いすることにしている。考えてみると、車は、日常の買い物(主に、家内が使用)とお墓参りにしか使っていなかったということである。

 

YouTube動画アップ

 日々、撮影した写真や動画を、時々、編集してDVDに保存していたが、YouTubeというサイトが利用できるようになり、ここに、動画をアップしておくことで、いつでも、インターネットにつなげればみれる閲覧できるようになった。なお、動画の公開範囲は、公開と限定公開(サイトのURLが分かる方・・・マイブログやマイホームページを閲覧してくれた方へ)を使い分けるようにしている。

 

自宅の設備の老朽化(換気扇、給湯器、トイレ、クーラー、テレビ、襖)

 リタイアしてから、1996年に購入した自宅の設備などが次々と老朽化し、20年以上経過で、下記のような状況である。これらを見てみると、これからも、次々と買い替えが必要になってくるので、少しは、事前に預金しておかないといけないと思っている。大まかなもののみ掲載しています。

TV、冷蔵庫、DVD、ヒーター 20071 合計30万円
水洗トイレ 20079 15万円
電子レンジ 2007年10月 1万円
エアコン  資料なし 20万円(2部屋) 和室と6帖洋室
パソコン Windows Vista Dynabook  208年11月  48ケ月ローン 15万円 
風呂場の換気扇 2011年3月 3万円
地デジ対応テレビ 19インチ 2011年5月 2万円
洗濯機 20119 10万円
ガス給湯器 20123 17万円
地デジ対応テレビ 19インチ  2014年3月  3万円 
襖の張替え  2014年4 月 3万円 
お風呂ユニット 20163 30ヶ月年金ローン 86万円
地デジ対応テレビ 32インチ 20163  30回分割 13万円
洗面所の蛇口 2016年9月 7万円
エアコン(買い替え) 2016年10月 15万円(2部屋)
パソコン Windows10 FMV 2016年10月 12ケ月ローン 9万円
2ドア冷蔵庫 2017年7月  3万円 
電子レンジ(買い替え) 2018年3月 1万円
タブレット(孫へ)  2018年4月  2万円 
地デジ対応テレビ 24インチ 2018年8月  4万円 
洗濯機(買い替え) 2018年11月 8万円+2200円(全自動水道蛇口代)
冷蔵庫 2018年12月 12ケ月ローン 8万円
      
     
2020年1月現在  合計 概略 275万円



    

  

インターネット大学

 リタイアして、10年を経過し、何とか元気に過ごせてはいたが、何か違うことをやってみたくなっていた。そんな折(20144月)、無償で利用できるインターネット大学 gaccoが開講されたことを知った。

 普段、インターネットを利用してはいるが、基本的なことが分かっていなかったので、講座の中から、「インターネット」を選択し受講するようにした。

 一流の大学の先生の授業を受講できる喜びを感じて、その後も、次々に受講して、頭の中をリフレッシュしている。

 直近の2年間で、70歳の時に、5講座、71歳の時に、19講座、72歳(継続中)の時に、15講座を終了している。残念ながら、2講座については、修了できなかったが、講義そのものは、楽しく受講できているので、これからも継続していきたいと思っている。

 修了状況については、マイホームページ「gacco/JMOOC終了証一覧」に詳しく掲載している。また、毎週の受講状況については、マイブログ「http://aozora60.at.webry.info/」のテーマの「gacco」や「JMOOC」に記事として掲載している。

 

タブレット、スマートホン

 数年前から、タブレツトやスマートホンが当たり前のように利用され始めていたが、我が家では、パソコンがあるので、特に、購入することはなかった。

 たまたま、パソコン相談者の中に、娘にタブレットを買ってもらったが使い方が分からないので教えて欲しいという方がおられたのが、タブレットと出会うきっかけだった。そのタブレットは、iOSというiPHONEの系統のものだったので、Windowsに近いAndoroidと思想が異なっていて、当初は、戸惑ったが、説明書をダウンロードしたり、ネットで操作法を検索したりして、その方のサポートに役立てることができた。

 その後、我が家のJ:COMテレビをスマートテレビに変更した時に、無償(2年間の解約なしという条件)で、タブレットが使用できるようになり、Andoroid系のタブレットも使用するようになった。

 ただ、そのタブレットに、マインクラフトという有償ソフトを、小3の孫にせがまれてインストールした結果、今では、孫のものになってしまった。マインクラフトについては、タブレットに飽き足らず、パソコン版、Windows10版というように、次々とインストールする羽目になり、孫が家にいるときは、Windows10 PCは、孫専用PCになってしまっている。孫は、YouTubeで、マインクラフトの新しい操作を学び、タブレットやPCにインストールしては楽しんでいる。特に、ガードをかけたのは、お金が必要となるものは、インストールしてはいけないということだけしか言っていないが、何とか、変なソフトのインストールはしていないようである。

 

 次に、スマートホンであるが、我が家は、必要性がないことと、月々の支払も大きくなることから、まだ、ガラケーの携帯を利用しているので、残念ながら持っていない。

 ただ、パソコン相談で来られる方の中には、スマホの相談もあるので、説明書のダウンロードやネット検索などで、何とか対応させていただいている。スマホの写真をパソコンに取り込んだり、パソコンにある音楽をスマホに入れたりというようなこともできるようになった。

 

手術を経験

 退職直前に、当時住んでいた赴任先のマンションが1階だったことも影響して、大量にカビが生えているのに気づかず、鼻炎アレルギーを発症してしまった。

 リタイア後も、完治することなく、通院していた内科医院でアレルギーの薬を処方してもらっていた。所が、ある日、耳がおかしくなったので、耳鼻科へ行ってみると、鼻茸ができていて、手術するしかないと言われた。その後、1年ほどは、耳鼻科でもらっていた薬で何とか生活できていたが、またもや、耳がおかしくなったので、セカンドオピニオンを兼ねて、別の耳鼻科へ行ってみた。ここでも、手術以外にはよくならないと言われ、数か月薬で様子を診ていただいたが、良くならないので、覚悟を決めて、手術することにした。

 手術は、専門病院を紹介していただいたが、心臓関連の薬を飲んでいたため、指定する循環器内科で、手術に耐えられるかどうか(一時的に、2Wの間心臓関連の薬の服用が止められるかどうか)の確認をしてもらうことになり、色々と検査してもらった結果、OKをもらって、手術することになった。

 手術は、片方ずつ、1ヶ月空けて行うことになり、手術そのものは、12日で、全身麻酔だったこともあって、本人の記憶がなく、あっという間に終わったという感じだった。なお、手術費用は、両方で、100万円近くかかったが、健康保険の3割負担と、高額医療の限度額申請により、20万円弱になった。なお、手術はしても、元々、慢性化していたこともあって、完治というわけではなく、その後も、耳鼻科に通院して、再発しないように努めているので、今のところ、問題なく過ごせている。何といっても、手術まえの数年間は、何も匂わなかったのが、匂いを嗅ぐことができるようなったことがありがたいと思っている。

  その後、日常、循環器クリニツクに通院しているが、頻尿の相談をしたら、血液検査があり、前立腺に問題ありとの診断が出た。専門の大学病院を紹介して頂き、ガンの可能性があるとのことで、検体検査入院をして診断が下った。色んな治療法の選択ができたが、手術を回避し、ホルモン注射を選択した。3カ月毎に注射していただき、1年経過して、大分数値が下がってきた。今後も継続の必要性ありとのこと。この病気は、男性の80%以上がかかる病気とのことでした。
 

本籍を大阪市から河内長野市へ

 生まれ育ったのが、大阪市内だったので、本籍も大阪市内にあった。

 戸籍謄本が必要になると、郵送してもらっていたが、本籍のある実家の方も今は存在しなくなったことと、マンションを購入したこともあり、河内長野市へ移すことにした。手続は、そんなに難しくなく、本籍のある役所に届け出後、河内長野の市役所に届けるだけであった。











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